遼寧省大連市、旧日本軍の中国侵略を証明する新たな鉄証を追加
ソース: 愛遼寧
2025-09-25

 このほど、重い歴史の記憶を担う貴重な文献——1944年に日本・大阪で印刷された『大満洲帝国地図』が、遼寧省大連市檔案館で永久保存されることになった。

 日本語で記されたこの地図は、紙が黄ばみ、わずかな破れはあるものの、行政区域や地名の标注は明瞭に識別可能で、裏面には東北各地域に関する日本語の地域解説が完全に残されている。

 この地図が作られた1944年初頭は、日本の敗戦降伏(1945年8月)まであと1年7カ月という時期だった。東北地区における日本軍の戦況はすでに敗色濃厚であったが、それでも中国侵略と東北占領の野心は衰えていなかった。同年、中国で発動した「豫湘桂会戦」での一時的な優勢に気をよくした日本軍は、この地図を入念に作成し、新版地図によって所謂「大満洲帝国」の版図という幻想を維持しようと企んだのである。

 地図を広げると、日本軍国主義の侵略の野心的な構想が痛烈に伝わってくる——ピーズーウォ(現在の皮口)、普蘭店、瓦房店より南は「関東州」と劃定され、日本による大連地区の植民地支配が露骨に表示されている。線より北の区域は「浜江省」「吉林省」「安東省」など複数の「省」に分割され、分断統治策略 によって支配を強化しようとする日本の陰謀がうかがえる。裏面の日本語記載には、地域面積や境界だけでなく、作者、印刷者、発行所などの情報も残されている。

 大量の資料による査証の結果、この地図は東北地区現存の記録の中では最後の版であり、「満洲国」後期の全体像を反映した資料の中で最も完全な形で保存されているものであることが確認された。これは、近代中日関係史、東北殖民史、行政区域の変遷、地名の沿革を研究する上での第一級の核心史料を提供するものである。